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致知2月号感想文 木鶏会

2022年2月14日
テーマ「百万の典経(てんきょう)日下(につか)の燈(ともしび)」

今月の『致知』特集のテーマは「百万の典経日下の燈」です。コロナウイルス感染拡大防止から今回の社内木鶏会は中止となりました。今月も仲間が書いた、素晴らしい社長推薦優良感想文を掲載いたします。
 

社長推薦優良感想文

テーマ:『特集総リード「百万の典経日下の燈」』
 
私は今回の特集の中の「自己の最善を他者に尽くしきる」という部分に着目した。最善を尽くすというのは私の中で「120パーで事に当たること」だと思う。今、持てる限りの力で最大限のパフォーマンスをすることが大切である。当然、立て続けに忙しい日が続き、疲れてしまうときもある。そういったときは、疲れているなりの120パーセントを出すのである。ほんのちょっとしたことでも構わないのであと一工夫、一頑張りをすることで周りは変わるのである。現場において丁張を打つ際も、重機のオペレーターのことを考えて距離や文字の書き方を考えたり、作業が早く終わった際、職員さんのチョークラインを手伝ったりとその場で出来る小さなアプローチで自分だけでなく、会社に対する評価も変わってくる。最善を尽くし、「この会社はここまでやってくれるのか」というサービスが、今後のリピートにもつながると思う。最近は以前に比べて出来ることが少しづつ増えてきたので、出来る中での最善を尽くしてより良い結果を招きたい。そのために日々、取り入れることが出来る知識はまだまだあるので、積極的に仕事に打ち込んでいきたい。
 
本社 技術部 中村
テーマ:『特集総リード「百万の典経日下の燈」』
 
北京オリンピックの日本人選手の活躍が毎日のように、テレビに映し出されている。その中で、フィギアスケートの羽生選手の試合後の「報われない努力もあるんですね。」と自嘲気味に話していた。何とも切ない気持ちになり、涙がこぽれた。中高とバレーボール三昧の日々を送っていた。県大会1回戦突破を目標に日々練習に明け暮れていた。でも、目標は達成できず、日々の練習は報われない努力に終わった。しかし、今あの6年間を振り返ると、後悔はなく、練習打ち込んだ日々は今の自分の基礎を作ってくれたと思っている。競技もレベルも違うが、同じスポーツに打ち込んだ人間として、羽生選手の言葉に「そんなこと言わないで、また頑張ってほしい…」との気持ちになり、涙が出たのかもしれない。どうしても積み重ねた先の結果を求めがちだが、今回の記事に「積み重ねが人生を決定するのを忘れまい」という言葉は、その積み重ねが人生の基礎を作っていくものだという言葉に思えた。羽生選手の報われなかった努力も私のバレーボールに打ち込んだ日々もそれぞれの人生の基礎になっているに違いない。結果は後からついてくるものと思い、日々積み重ねる事を大切にしたいと思う。
 
本社 技術部 米倉
テーマ:『特集総リード「百万の典経日下の燈」』
 
今回の特集を読み、印象に残っている言葉がある。「努力までは誰でもする。大事なのは努力の上に辛抱という棒を立てる。その上に花が咲く。」です。努力は誰でもできるがそれを毎日コツコツとずっとし続けることが非常に重要。毎日し続けることがどれだけ重要か分かる言葉だと思いました。どんな職業でも努力をし続けることは重要である。営業も一緒だ。仕事を頂いていないお客様や関係性の薄いお客様のところに毎月欠かさず、訪問する。会えないことが多いが、訪問するたび名刺を預け名刺にメッセージを書く。これを毎月続けることにより仕事をもらえる、関係性が良くなることがある。なかなかしんどいことだが続けることに意味がある。営業は特に対人のため、し続けて誠意や汗を流していることを間接的に伝えるのが重要だと思います。私も日々営業している中で毎月必ず訪問し、顔を覚えて頂くことや見積り依頼を頂いたら、必ずお礼メールをするなど、し続けていることがあります。今後も腐らず日々努力。続けることも大切さをかみしめ日々の業務に努める。
 
本社 営業部 山名
テーマ:『特集総リード「百万の典経日下の燈」』
 
本特集を読んで、私は父の言葉を思い出し、行動を振り返った。父は何をするにしても「やってみろ。そして続けろ」と言った。勉強、部活動、遊び、何にしてもだ。その上で「結果が出なくても耐えろ」と必ず付け加えた。意味が分からなかった。何にしても結果が求められるのに、何故そのようなことを言うのか。私は「取り合えず飛び込んでみる」と解釈しやると決めたらやるようにしてきた。人は結果が出なければそれを蛮勇と言い、実際に、友人や仲間に無駄だと罵られたこともある。だが、やってみて結果が出なくても諦めず、反省し、改善し、続けていく先に成長があり、そこに意味があるのだ、と私は気づいた。今、営業マンとして独り立ちを目指し、日々を忙しくしている。その中でテレアポと商談などで回数を重ね、諦めず、改善しながら進むことが求められている。それを他の業務にも伸ばし、お客様のため、仲間のために続けていこうと私は考える。
 
本社 営業部 藤倉
テーマ:『愛と祈りと報恩に生きて』
 
信仰の自由を認めらていない頃の應れキリシタンの記事を読み、当たり前に思っている信仰の自由は日本国憲法で定められるようになってからのことであり、現在に生きる私達は本当に幸せなことだとつくづく思います。今私にはこれといった信仰している宗教はないのですが、事あるごとに、「神様ありがとうございます」や「お守りください」など手を合わせている自分に気づきます。宗教の違いを問わずそのような行いや気持ちになるのは、人間が自分の力だけで生きているのではなく、目に見えない大きな力に守られて生きていると心で感じているのだと思います。神社仏閣に行くと神聖な気持ちになり、祈る姿がそこにあります。私のような信仰の薄い人間は祈ることだけしていますが、祈り弱い人に寄り添い、机上で学んだことを実行することが真の信仰であり、まさに「百万の典経、日下の燈」なのだと理解します。私もかつては、信仰を持ちそれを自分の軸とし揺るがず強くなりたいと思い、クリスチャンの友人が通う教会に行っていた時がありました。自分が辛い時期でもあり、神にすがり、神に助けてもらいたい気持ちで通っていたと思います。恥ずかしいことです。そこで気づいたのは、神は直接私に何かをしてくださる訳ではない。信仰し、学ぶことにより、自分の思いが教えと共に自分を変えていく。思いと共に行動も変わり救われていく。手を合わせて祈ることも、 「お願い事」ではなく 「守っていただいている感謝」へ変化していきました。今会社で学んでいるフィロソフィも机上の学びだけでなく、学んだ中から気づきが生まれ、全部は理解できないかもしれませんが、自分が変わり、自分の行動が変わることが重要なのだと思います。その先には成長できている自分がいると信じています。
 
本社 営業部 清水
テーマ:『特集総リード「百万の典経日下の燈」』
 
きんそくで働いて12年になります。12年続けられたのは少しは辛抱ができていたからかなぁ…。と思いました。もちろん、仕事が出来なくて叱られたり、なんでこんなことも出来ないのだろうと、毎日のように落ち込んで会社に行きたくないと思っていました。もう辞めたい!と思ったことも多々ありますし、泣いたこともあります。でも、辞めなかったのは「出来ないまま辞めるのが悔しい」と思ったからです。その当時は、仕事も楽しいと思っていませんでした。今思えばこれが「辛抱」というものだったのかなと思います。出来るようになってからは、頼られることも多くなり、仕事でミスをすることも少なくなり、仕事が楽しいかも?と思い始めました。社内の事務の仕事なので先人たちのように偉業を成し遂げたわけでもないし会社に大きく賃献したわけでもありませんが、業務のやり方がいろいろ変わる中私がやってきたことが元になっていると感じると嬉しくなるし、今までやってきてよかったなと、より思えます。今は新しいやり方を覚えたり、昔では任せていただけなかった仕事もやらせていただいています。私は数字がとても苦手で日々かなり苦戦していますが、理解できた時の達成感が楽しくて仕方ありませんし、まだまだ成長できると感じで嬉しくなります。今は仕事がとでも楽しい!と言い切れます。今後は人としても成長し、きんそくで楽しんで仕事をしてきたいと思います。
 
本社 管理部 伊藤
テーマ:『特集総リード「百万の典経日下の燈」』
 
私の亡くなった父はとても明るい人だった。家で商売をしていた父のもとには昼間の休憩時間に友人知人が毎日のように誰か来ていた。一緒に暮らしていた頃は、それが当たり前の光景だったので特に何も思わなかったが、離れて暮らし始め当たり前ではなくなった時に父の人柄に気づかされた。明るく前向きで仕事に一本気な父。私は基本的に人前ではマイナスの言葉を言わないようにしている。これは父を見て育ったからかなと気づかされる。「百万の経典日下の燈」を読んで、まず父が頭に浮かんだ。家族に対しては言葉数はそれほど多い人ではなかった。特別何かを言葉にして教えられたわけでもない。ただ父が亡くなった時に周りから父の偉業をたくさん聞き、もっと父からいろんな事を聞いておけばよかった..と後悔した。まだ自分が若かったこともあるが、父が亡くなるまで人の死というものはどこか縁遠いもに感じていた。何でもない言葉だが亡くなる1週間前、父がオニギリを食べたいと言ったので、母が炊いていたかやくご飯でオニギリを握った。それを頬張りながら「うまいわ~」と嬉しそうに食べていた父の姿が何故か1番心に残っている。今でもご飯を作る時は毎回その光景が浮かぶ。すると疲れていても、簡単なおかずでも、ひと手問加えたくなる。父の言葉のマジックにかかってるなぁとたまに笑えてくる。私にとってとても価値のある言葉です。
 
本社 管理部 関根
テーマ:『愛と祈りと報恩に生きて』
 
報恩とは恩返しという意味だけでなく、もっと深いものだと知った。「頂いている恩に気づくこと(知恩)ができたら、今度は自分が誰かに恩を送る(報恩)」という、恩を返すのではなく恩を送るという、恩の循環を表す言葉だった。昨年私は遅まきながら人生で初めて献血をしたのだが、そのきっかけは娘が新型コロナウイルスに感染したことだった。幸い軽症で済み、入院先でもとても良くしていただいたのだが、退院時は私がまだ待機期間中のため、病院関係者へお礼ができず仕舞いだった。加えて、どういうからくりか、治療費だけでなく部屋代や食費さえ公費扱いで支払は不要と言われた。正直とても有難いのだが、なんとも申し訳ない気持ちのまま何かできることはないかとモヤモヤしながら1ヵ月が過ぎたころ、たまたま寄ったスーパーで献血が行われていた。それを見た瞬間、「これは天が用意してくださったチャンスだ。」と感じ、400ml献血を願い出た。実は、私は昔から傷の治りが異様に早いのだ。それは医者にも驚かれるほどで、休調の回復スピードもやはり早い。そんな私の血液が、誰かの怪我や病気をほんの半日でも早く回復する手助けになればいいなと思ったからだ。木鶏会では、「気づく力」が養われると感じている。観察し、考察し、推察する習慣が身に付き、物事の見かたや見え方が変わることを実感した。それまでとは違った目を持つことで、今まで素通りしていた物事に気づけるのだろう。それがとても有難い。世の中の良い部分だけでなく、自分の至らない点にも気づくようになり、苦しいこともある。そんな時は逃げるのをやめて、まずは正面から向き合うことにした。今回の知恩・報恩について考えることができたのも、気づく力がついてきたからだと思える。年2回の献血は、私の中に年間行事として登録された。恩の循環は、回るほどにきれいなものが循環していく気がする。心から「ありがとう」と言える人になり、「ありがとう」と言われる人になりたいと思う。
 
和歌山支店 管理部 今里
テーマ:『特集総リード「百万の典経日下の燈」』
 
私が職業訓練校でCADを学んでいたとき、CADの先生がこれからはBIM が主流になるとよく言っていた。その時の私はまだCADも習得できていないのに、BIMの学習も必要なのかと戸惑っていました。無事に訓練校を修了し、仕事の面接できんそくへ来たとき土木ではBIMのことをCIMと言い、CIMのソフトであるRevitも使用していると竹内所長からお聞きしました。このときに自分もRevitを使ってみたいと思いました。Revitに憧れつつ、初めてやらせてもらう業務や聞きなれない用語に慣れるのは大変でした。そんな中、中田さんにRevitを使用する作業のお手伝いを頼まれました。Revitを初めて操作できることにドキドキしつつ、全くCADと違う操作だったので、分からなすぎて泣きそうでした。少しの作業でたくさん時間を使ってしまい、不甲斐ない気持ちでいっぱいでした。その日から、どうしたらRevitを上手く操作できるようになるのか考える日々が続きました。YouTubeでRevitの操作をアップしている動画を見たり、動画で使用されている本を読んだり、訓練校のセミナーにへ参加したり、できる範囲でRevitに向き合いました。まだまだ使いこなすとは言い難いレベルですが、日々上達を感じます。日下の燈にならないよう、Revitをはじめ、いろいろな技術を学んでいけるよう行動していきたいです。
 
東京営業所 技術部 津路

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