致知8月号感想文 木鶏会

2020年8月17日
テーマ「鈴木大拙に学ぶ人間学」

今月の『致知』特集のテーマは「鈴木大拙に学ぶ人間学」です。コロナウイルス感染拡大防止から今回の社内木鶏会は中止となりました。今月も仲間が書いた、素晴らしい社長推薦優良感想文を掲載いたします。
 

社長推薦優良感想文

テーマ:『人間・鈴木大拙を語る』
 
 縁あって5年半お世話になった奥野会長の会社を一身上の都合で8月末日をもって退職致します。本当にありがとうございました。9月から新たな人生を歩もうとしている私にとって、この文中にある言葉が、ひとうの原点であると考えさせられました。それは、岡村女史云く、「大拙先生が拳でテーブルをドーンと叩いて、『いまのが聞こえたかね』そして『この拳の音は過去にも未来にも二度と同じものがない。その二度とない拳の音が今聞こえたか』」と教えてくださる。つまり、一瞬一瞬が新たなりで、過去も未来も全てがこの一瞬の中にある。すなわち『即今』だと。今生きているその中に「ひじ、外に曲らず」を肝に銘じ毎日を生きて行こうと感じました。きんそくフィロソフィの『美しい心』を精進して行きます。皆様、ありがとうございました。
 
きんそく家屋調査 技術部 澁谷
テーマ:『人間 鈴木大拙を学ぶ』
 
 鈴木大拙氏が英語に訳すのに苦労されたという「自由」=「自らに由る」という言葉に思い出すことがある。長男が進学した高校は、日本で3~4校しかないという「校則のない」公立高校だった。入学式の日に、校長先生が「本来、自由は自分の責任の上でなすべきものであり、これほど難しいものはない。」とおっしゃったことだ。「先輩たちが守ってきたこの自由を持ち続けるか、手放すことになるかは入学してきた生徒一人ひとりの行動にかかっている」ということだった。本当の自由とは、皆が好き勝手することではなく、自ら考え、自ら節度のある行動をすることなのである。また、息子が小学生の時、PTAの集まりの中で先生がおしゃった言葉も改めて思い出す。学校という組織の中で唯一「校則」がないのが小学校なのだということだ。それまであまり深く考えたことがなかったが確かにそうだ。例えば学校に持ってきてはダメなもの、必要ないもの。校則による禁止はないが、そこは子供と親御さんと話をして納得させ、理解させる教育を地道にされている現実がある。しかし今新型コロナウイルス感染の中、未知のウイルスでありその正体が不明なとき、「自らに由る」判断だけでは済まされない状況になっている。それは感染が自分のものではなく、他社への影響が大きなものであるからだ。恐怖と不安の中、いち早く社内での感染防止の対策をとっていただき、行動の指針を示していただけたことは有り難く初めての経験に戸惑うことなく安心して働くことができていると思う。次は一人ひとりの責任に委ねられることであり、社会という集団の中で自らがどう行動していくかだと思う。一致団結して感染を乗り越えられた先には、きんそく=挑戦し続ける会社、他者に優しい会社が見えるような気がする。
 
本社 営業部 清水
テーマ:『鈴木大拙が残した言葉』
 
 大拙の思想で「褒められてもよし、褒められぬでもよいこと」という無功用の働きは日頃の自分自身の行動を改めて考えさせられた。蓮沼氏が語られているのと同じく、私も誰かに喜んでもらえるために行動していることが多く、心のどこかで「ありがとう」の言葉を求めているのではないかということを考えさせられた。人が喜ぶことがしたい、のと人が喜ぶことをしよう、同じような単語が並んでいるが、前者は自分の思いが主であるのに対し、後者は人の思いが主となっている。どちらも間違った思いではないが、人の思いが主となった行動は見返りを求めやすくなってしまうのではないかと思う。例えば、結婚当初、ご飯を作ったり、掃除をしたり、その全てにおいて主人が喜ぶことがしたい一心でやっていた。十数年経つとその形は変わり、これこれをやってあげているから、あなたもこれこれをして。という思いがあり、時には「ありがとうは?」とあからさまに求める有様…本当に反省しなくてはならない。家族だから笑いで流せることも、これが職場となれば笑いでなんて流せない。見返りを求めず仕事に打ち込む。仕事をさせて頂けているという謙虚な姿勢で努力する心を常に忘れず取り組んでいきたい。
 
本社 管理部 関根
テーマ:『鈴木大拙に学ぶ人間学』
 
 今回の記事を読んで鈴木大拙さんの「一歩一歩努力すれば、いつも間にか高いところでも上がっている」という言葉が印象に残った。私が本社研修を経て名古屋に来てから一年が経とうとしている。はじめは教えて貰ったのに分からないことばかりでしんどい時や辛い時も沢山あったが、今振り返ってみれば名古屋に来たばかりの頃より高いところには上れていると思う。しかし、出来るようになった事は自分の中では当たり前になり出来ないことばかりに目が行ってしまう。あれもこれも出来るようになりたいのに、ならなきゃいけないのに満足に出来ない事ばかりで、そんな自分に悔しさや苛立ちを感じることもあるが大拙氏の言葉を読んで自分にも積み重ねてきたものがあった事に気がついた。出来ないことばかりに焦り、いきなり色々出来るようになろうとするのではなく、目の前の仕事をより良い形でお客さんに渡すことが私の一歩一歩の努力であり、それを繰り返すことが自分を高めていくことに繋がるんだと感じた。だから出来な自分ばかりに目を向けるのではなく、一つ一つ出来ることの質を高めたり、現時点で出来ないことに挑戦してみたりして、自分の技術力を高めて行きたいと思う。
 
名古屋営業所 技術部 柴田
テーマ:『鈴木大拙に学ぶ人間学』『人間・鈴木大拙を語る』を読んで
 
 鈴木大拙は、明治後期に一度目の渡米、11年間東洋学の書籍出版に関わり、その後昭和初期の禅研究の第一人者となり、禅文化を海外に広めた学者である。没後、半世紀以上を経た現在においても大拙先生の数々の著書や発せられた言葉に心ひかれる人々が多いのは何故か。大拙先生の語る禅は決して学問の中にあるのではなく、日常の中に生きている。人生は思い通りにならないことを認めた上で、それでも苦しみから逃げずに十分に味わって生きよよいうことであろう。また、西洋は対立・二元性の思想であるとも説いている。その世界観の違いは「自由」という言葉を英訳する際の苦労にも表れている。意識として自分というものを捨てないと本当の自由は手に入らない。自由は外から与えられるものではなく、自らに由るものである。最近何かと制限の多い世の中で、視野が狭くなりがちだったが、先日オンラインでのハワイからジャイロキネシスレッスンを受け、インストラクターの背後に青々と広がる空と東京の久々にも晴れた空は、たしかに分かれ目なく繋がっていることを実感。新しい生活スタイルもなかなか、と大らかな気持ちになり明日からまた頑張ろうと思った。
 
東京営業所 技術部 加藤
テーマ:『鈴木大拙に学ぶ人間学』『人間・鈴木大拙を語る』を読んで
 
 今回の話は今まで読んできた致知の中で特に難しいと感じた。私がその中で学んだのは何事も一歩一歩努力すれば、いつの間にか高いところでも上がっている。という言葉です。何をするにもやはり「努力」がなくては辿りつけないし、努力の中に「楽しみ」も必要であると思いました。文中にある鈴木大拙氏が上った「130段の階段」は緩やかな勾配の山道で歩幅もゆとりがあり木々も豊か、工夫の凝らされた石段だったとある。私は「130段の階段」と聞くと一直線の角度が急で先が見えない石の階段を勝手に想像してしまった。しかし、人生や目標を達成するということは厳しい道のりで辛いことだけではなく、途中で見たことの無い景色が見られたりと楽しいことや嬉しいことをしっかりと感じながら一歩一歩前に進み、気が付けば高い所まで辿りつけるのではないかと思いました。きんそくも大きな目標「30期30億」にむけ全員が一歩一歩と進んでいる。その中で色んな景色も見せてもらい、たくさんの人との出逢いもあった。そしてこの先にある”高いところ”に必ず辿り着けると信じ、今は立ち止まることなく歩み続けていきたい。
 
本社 商品開発事業部 日高